53番円明寺へ参拝したことと、危篤に立ち会えなかった人へ
亡くなった方が、死ぬ瞬間に何を思っているのか
何を見ているのか、について書いてみようと思います。

昨年10月中旬のお遍路の続きからです。
AM6:50

こじんまりとした境内ですが
お風呂に浸かっているような、まろやかさがある
癒しの氣が気持ち良い、なんだか安心するお寺でした。

こういう感覚って神仏が声をかけてくれていたり
微笑んでくれたりしているのだそうで
そうなんだってわかると、嬉しさ倍増です。

識子さんの本日のこちらの記事に書かれていて
シンクロしたのが嬉しいです。
神社仏閣で受け取るもの

ご本尊は阿弥陀如来なんですが
ここから何気なく、夫が撮った写真に
さりげな~い、仏様の歓迎サインが紛れこんでいたんです。

静止画だと、とってもわかりにくいのですが・・

1シャッターのライブ写真をスクロールすると
左側の灯籠の灯りだけが、スーッと薄暗くなって・・

キー写真に設定の白いポッチを越えたところで
パンッ!と、もとの明るさに戻るんです。
何度見ても同じです。

以前、朝護孫子寺の記事で書いた現象と似ています。
いつも何カ月も経ってから気づきます。

神仏のサインはわかりやすいものと
わかりにくいものがあるそうですので
みなさんも見逃していないか、チェックされると良いかもしれません。

本堂の中を覗いてみたら、とっても迫力満点でした(*^-^*)

多聞天(毘沙門天)と増長天のお顔も優しい感じで
落ち着ける空間です。

近寄れないのでズームで撮ってみたら・・
画質の質が落ちていますね。

この左の灯籠ですよ~さっきの写真の。
電気タイプのようです。

四国霊場巡りのお寺では
扉が閉まっていて仏像が見えないお寺が多く
このように見えると、やっぱり嬉しいですね。

仏像の近くが一番波動が濃い、ということもありますし。

大師堂の中も覗いてみたら・・

なんと!?
赤玉ワインが奉納されているではないですか!

懐かしい~~
赤玉パンチとも言いましたよね?
甘ーいワインですが、好きだったなと思い出しまして
昔話に花が咲きました。

空海さんも、美味しかったかな~
甘かったかな~

というか、忘れず蓋を開けてもらえたんかな~ぁ?
ちょっと心配も(笑)

さて、こんなご時世となり最近では
身内や大切な人の、死に目に会えなかった
という予想外の状況の人が
もしかしたら増えているのかなぁと感じました。

最期のお別れを、顔を見て言うことができなかった。
会いに行くことができなかった。
自宅で看取ることができなかった。

など、申し訳ない気持ちや、引きずる気持ち、後悔を抱えている人は
後悔すればするほど、亡くなった方を逆に悲しませるのだそうです。

そのような思いは亡くなった方のためにも
手放すことが大切なんだそうですヨ。

死ぬ間際の人は、自分がいる場所を見てるのではないようです。

詳しくは、神仏が視える、神仏とお話ができる
識子さんのこちらの記事を読まれてみてください。
死に目にあえなかった、自宅で看取ることができなかったという後悔

自分もいずれ、そちら側になる時がきたら
そういう感じなんだなぁ~と
生前に知ることができたのは
毎度ながら識子さんに、本当に感謝しかありません。

死に目に会えなかったことを後悔したり、今だ引きずっている人へ
どうか届きますように。
微力ですが、お役に立てますように。

最期までお読み下さり
いつもありがとう存じます。

円明寺

愛媛県松山市和気町1-182